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SLIDE THEATER【吉野容臣の部屋(web写真集)】 ~文豪作品をもとに創作したオリジナル作品~ 

 

 脚本・出演:吉野容臣 撮影:赤羽真也(株式会社赤羽写真工房) 企画製作:小寺久枝(小寺事務所)*11min.10sec.*  
≪『 壊れ 』 脚本:吉野容臣≫ 
 

 『壊れ』 YouTube version

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     原作 春の夜は」 芥川龍之介

 
  
  僕はコンクリイトの建物の並んだ丸の内の裏通りを歩いてゐた。
  すると何か匂(にほひ)を感じた。
  何か?-ーーではない。野菜サラドの匂である。
  僕はあたりを見まはした。が、アスフアルトの往来には五味箱
  一つみえなかつた。
  それは又如何にも春の夜らしかつた。
 
  二
  U ーーー「君は夜は怖くはないかね?」
  僕ーーー「格別怖いと思つたことはない。」
  U ーーー「僕は怖いんだよ。何だか大きい消しゴムでも噛んでゐ
  るやうな気がするからね。」
  これも、---このUの言葉もやはり如何にも春の夜らしかつ
  た。
 
  三
  僕は支那の少女が一人(ひとり)、電車に乗るのを眺めてゐた。
  それは季節を破壊する電燈の光の下だつたにもせよ、実際春の夜
  に違ひなかつた。少女は僕に後ろを向け、電車のステツプに足を
  かけようとした。
  僕は巻煙草を銜(くは)へたまま、ふとこの少女の耳の根に垢の
  残つてゐるのを発見した。その又垢は垢と云ふよりも「よごれ」
  と云ふのに近いものだつた。僕は電車の走つて行つた後(のち)
  もこの耳の根に残つた垢に何か暖かさを感じてゐた。
 
  四
  或春の夜(よ)、僕は路ばたに立ち止つた馬車の側を通りかかつ
  た。馬はほつそりした白馬(しろうま)だつた。僕はそこを通り
  がら、ちよつとこの馬の頸すぢに手を触れて見たい誘惑を感じた。
 
  五
  これも或春の夜のことである。僕は往来(わうらい)を歩きなが
  ら、鮫(さめ)の卵を食ひたいと思ひ出した。
 
  六
  春の夜の空想。---いつかカツフエ・プランタンの窓は広い牧
  場に開いてゐる。その又牧場のまん中には丸焼きにした雞が一羽、
  首を垂れて何か考へてゐる。・・・・・
 
  七
  春の夜の言葉。---「やすちやんが青いうんこをしました。」
 
  八
  或三月の夜(よ)、僕はペンを休めた時、ふとニツケルの懐中時
  計は十時を打つてゐる。が、懐中時計は十時半になつてゐる。
  懐中時計を火燵(こたつ)の上に置き、丁寧に針を十時へ戻た。
  それから又ペンを動かし出した。時間と云ふものはかう云時ほ
  ど、存外急に過ぎることはない。掛け時計は今度は十一時
  た。はペンを持つたまま、懐中時計へ目をやると、--今度
  不思にも十二時になつてゐた。懐中時計は暖まると、を早く
  はすかしら?
 
  九
  誰か椅子の上に爪を磨いてゐる。
  誰か窓の前にレエスをかがつてゐる。
  誰かやけに花をむしつてゐる。
  誰かそつと鸚鵡(おうむ)を絞め殺してゐる。
  誰か小さいレストランの裏の煙突の下に眠つてゐる。
  誰か瓦斯(ガス)の匂(にほひ)の中にシヤベルの泥をすくひ上
  げてゐる。誰か、---ではない。まるまると肥つた紳士が一人、
 「詩韻含英(しゐんがんえい)」を拡げながら、未だに春宵(しゆう
  せう)の詩を考へてゐる。・・・・

                       (昭和二・二・五)